くろじいの小屋
COLUMN


| Back | Index | Next |

55  不思議な話        2003.12.22
 
 最近掲示板でも不思議な話で盛り上がっている.。
 
じいの母親はよく言う霊感が強い人である。
母親は以前、東京築地にあるS国際病院という所に長らく病棟の事務として勤めていた。
事務と言っても当時は看護婦と一緒に夜勤もする。
今でこそSタワーとして近代的な高層病院なっているが、その頃は築80年にもなる古い建物だった。元々浅野内匠頭の江戸屋敷跡にに建てられたこの病院は、聖ルカを起源ととするクリスチャン系の病院で、第二次世界大戦中も米軍の標的から外され、古い建物のまま残っていたのである。現在もその建物は隣接する看護大学や透析専門の場所として使われている。
死んだ人が夜中に自分のパジャマを取りに来たり、「そこは私のベットだからどいてくれ」と夜ごと来る等、ここで毎日の様に母が体験した不思議な話はまたの機会にお話するとして、今日は俺が実際に経験した不思議な事をお話しよう。
 
 ある日の事、母が病院から帰宅し、家族で夕飯を食べながら病院での話を聞いていた。「元職員だった仲の良いMさんが亡くなりそうなんだぁ」
今思えば夕飯の話題にしては消化に良くない話だと思うが・・・その時Mさんは母の病棟に入院していた。
食事が終わってMさんの話を色々聞いていた時にそれは起こった、部屋中が線香の匂いに包まれたのだ。今でこそ四年前に父親が亡くなったため、我が家には仏壇がある。しかしその頃は線香らしきものは一切無い、冬の話なので近所から漂って来たとしても窓は閉め切ってある。香りだけではなく部屋の中がうっすらと煙っているのである。
「怖いよ〜」と弟と騒いでいた数分後電話が鳴った、S病院の婦長からだっった。
今さっきMさんが亡くなったとの知らせだった。
その晩母は夢でMさんに会ったという、そこで見た彼女はベットで寝ている時の苦しそうな顔では無く、ニコニコと笑いながら、綺麗な花柄のパジャマを着てこちらを見てお辞儀をしていたそうだ。
 
翌朝母は一番に霊安室に行った。
そこで見たMさんは亡くなってから看護婦によって新しく着替えさせてもらったパジャマを着ていた。それは夢で見たあの綺麗な花柄の・・・・・
 
 この話には後日談がある、Mさんが以前母親にムームーをあげると言っていた事があるそうだ、どう考えてもサイズが合わずにもらわなかったのだが、ある日母親が衣替えをしていると何故かそのムームーが洋服ダンスから出て来たのである。
絶対受け取って無いのに・・・・・気味が悪くなった母親は再び同じ場所にしまった、きっと母の気持ちを察したMさんが取りに来たのだろう。引っ越しの時確かにしまったその場所にも何処にもそのムームーは無いのである。
 
 
もうひとつ。
じいが26歳位の頃である。仕事の関係で東名高速横浜インター近くにある一軒家に一人で一ヶ月寝泊まりする事になった。
特におかしい事も無かったのだが、ある晩のこと疲れて帰った俺は早々に布団入った。
 
疲れているのに眠れない・・・しばらくすると寝ている真上の和室からミシミシと人の足音がハッキリと聞こえて来た。
「こりゃあ泥棒だ」と思った俺は暗闇の中を息を殺しながら階段を登っていった。片手に棒の様な物を持っていたのを覚えてる、(今思えば勇気があるな〜)完全に対決するつもりで一番奥のその和室のドアを勢いよく開けると、すぐさま電気を灯けた。
すると部屋の中には既に泥棒の姿は無く、窓にある障子越しに人影が逃げるのがハッキリと写った、俺は「待てー」と大きな声を出しながら急いで駆け寄り思い切り障子をあけた・・・・・きちっと雨戸が閉まっていた、それも内側から鍵がかかって・・・・・
 
怖いというより、頭の中が真っ白になるとはこの事である。あの足音と人影はいったい何だったのか?今でも時々思い出す。
 
最後は一番最近の体験談。
3月のある夜、M病院のナースステーションで夜勤のS看護婦と話し込んでいた。
時間は夜中の2時をまわった頃だったと記憶してる。(何でそんな時間にナースステーションに居るんだ!と言う無かれ)特に怖い話をしていたわけでも無いのだがS看護婦の斜め後を大きな光が凄いスピードで横切った。後とはいえ流石に彼女も気が付いたらしく二人で顔を見合わせた。
夜勤は2人制で、病棟の患者半分、約20人〜を受け持って一時間ごとに懐中電灯片手に見回る(ラウンドという)のである。
休み時間が終わり戻ってきた新人H看護婦はこの日夜勤はまだ数度目。先ほどの出来事を話すと「怖いから一緒に見回りに行ってくれ」と俺に言う。
ドリフだったら「もしもこんな看護婦が居たら」といったところだ。
ついて行くって言ったって俺は車椅子だよ!彼女はよくも21歳でこんなに巨大化するもんだと思う程のオデブちゃんである。S看護婦と俺に散々脅かされて「怖いよ〜私まだ嫁入り前なんだからね〜」と大きな体を震わせる彼女を笑わそうと俺は「え?土俵入り?」と言ったが真剣な彼女は涙目になっていた。
なかなかドキドキのラウンドも無事に終わり、ステーションに戻って3人で話しているとステーション脇の公衆電話が一回鳴って切れた、あれは怖かった。その後ナースコールが鳴っているのになかなか行かないのも呼んでる患者は怖かったろうな〜
 
そういえば母の居た前出のS病院は、居ないはずの部屋のコールが鳴ったり、スイッチを取り外してあるのに鳴ったり、見回りに行くと使ってないベットが盛り上がっていて温もりが残っていた等は日常茶飯事だったらしい。
あと基本的に大部屋は出にくいんだそうな。それは例え急変しても、死ぬ前にICUか個室、または2人部屋を1人で使わせ、そこで臨終するからだそうな。確かにM病院もそうだった。M病院から裏に隣接されるJ病院に転院した(ここはとても古い建物だ)当初6人部屋に一人だった。受け持ちとなったH看護婦に「この部屋出ないよね?」と聞くと「えーと?確かこの部屋は大丈夫」と言われた。この部屋はって・・・
入院したら見栄を張らずに大部屋にしよう、病院とはそんな所だ。
 
 
 
世の中には不思議な話があるものだ。
何故?と論議したり思ったりする事が不要なので不・思・議と言うそうだ。
今このコラムは何処で読んでいますか?会社?寮?自分の部屋?他に人は居ますか?
その中に見かけない人が居ませか?
一人の部屋って・・・本当にあなた一人きりだって断言出来ますか・・・



| ホーム | くろじいの独り言 | お菓子ミシュラン | コラム | フォトギャラリー | ふぉとぎゃらり〜U | リンク集 | What's New |
| プロフィール | 期間限定ツバメの子育て日記 |